めっきり寒くなって、朝起きるのが辛い。ので、朝仕事(早番)の日は毎回遅刻。
あぁ…ヤバイ…
今寝たら…死…
でも…
走ればまだ…間に…zzz
ってなる。
でも不思議と休みの日には目ぇ覚めるんだよね。
先日、久々に丸一日ゲームした。
憑かれたようにPLAYした結果、スゲー疲れた。
あと、とてつもなく悪い事をしたような気持ちになったので、何か勝手にメンバーと話すのが億劫になった。
んで、とりあえずイベントやLIVE情報の更新なんかを炒飯に指示して、罪滅ぼしした気になった。
何この罪悪感!?
まぁでも良いか。
ごっつ強い技覚えたしな。
サルーインもタジタジだぜ。
さて。
本題へ。
淳志からの電話…
勿体ぶる事無いか。
簡単に書いてしまうと
『関東での活動を中心にバンドしないか?』
というお誘いだった。
無論、目指すのは一等賞。
当時、『一等賞』の解釈は俺とあつしで随分違ってたと思う。
ずっと関東で活動してきたあつしは、それまでに培ったノウハウだとか、言うなれば経験に裏打ちされた自信や何かをもって、あえて『一等賞』って言葉を使ったと思う。
勿論、堅実に目先も見据えた上で。
机上の空論などではない。
俺や、もしくは自分を鼓舞する意味も込めて。
まぁ、知らんけど。
俺はと言うと、ただ漠然と夢見てた。
五年間のサラリーマン生活でぬるま湯にどっぷりだった俺。
新しい波に飛び乗るには心に脂肪が付き過ぎてた。
ちょっと間違った印象を与えかねないので補足。
サラリーマンが悪いのではなく。
腐ったのはあくまで俺個人の問題。
諦念を抱えながら、惰性で生きていた。
ここで言う諦念は、前回Lで書いた『思うところあって上京しなかった』って部分に掛かってくる。
アツシ達が上京する事になった時だな。
俺は行けなかった。
今でこそ後悔していないけれど、いや、むしろ鳥取に残って良かったと思えるのだけれど、それは今、思う存分にバンド活動出来ているからであって、当時は飲み込めなかった。
理由は書かないけど、不可抗力だったと思う。
ほとんど有無を言わさず、鳥取に残る事が決まった。
頭では理解っていても、ずっと、ずっと
『何故だ?』
って気持ちを晴らせなかった。
『終わった事だ』と言い聞かせて、そこから先は望まないのがルールだった。
何だか重い感じになっちゃってるけど…コレはあくまでそういう気持ちとして抱えてたってだけ。
毎日そんな風に思ってたわけじゃあ無いし『何故?』って疑問自体に小さな答えが出た日も幾度かあった。
職場では素晴らしい出会いもあったし、彼らと飲むお酒は特別に美味かった。
たかしと歌う事も楽しかった。
歌を通して、仲間も沢山出来た。
そう。
それは素晴らしい日々だったのだけれど
沢山の小さな幸福は
たった一つの夢を突き崩せ無かった。
夢で終わるはずだった夢
アツシからの電話の後
まるで蛇の其れの様に、ゆらゆらとその鎌首をもたげた野心。
そして俺は知ってしまった
どれだけの想いを、言葉を
殺して
殺して
殺して
俺が飛べないでいるのかを
写真は…
関東にきて一年半
初めて観た東京Tower
じゃあ
また


陽が短くなった。